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松平定信 「花月草紙」 8代将軍吉宗の孫として生まれ,白河の松平家を継いで天明の凶作に自藩の難局を克服したのち,田沼意次失脚後の老中首座として寛政の改革に大いに腕をふるった楽翁松平定信の随筆集である.
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清少納言 「枕草子」 「ものはづくし(歌枕など)」や、詩歌秀句、日常の観察、個人のことや人々の噂、記録の性質を持つ回想など、彼女が平安の宮廷で過ごした間に興味を持ったものすべてがまとめられている。
根岸鎮衛 「耳嚢(みみぶくろ)」 江戸時代の人々の恐怖に対する認識は現在と異なるのであろうか。江戸時代の巷のうわさ話を集めた耳袋には、不可思議な現象を示す話が数多く収録されている。 (注:画像は、現代語版です。)
本居宣長 「玉勝間(たまがつま)」 若い頃から読書や考察を怠らなかった宣長が、その中で気付いたことをまとめた随筆いわゆるエッセイ・・・。 学者としての自分の歩んできた道を素直に語った本です。
最上家ゆかりの光善寺 如儡子(斎藤親盛) 「可笑記」 取り潰しをうけた最上家の家臣で、浪人中にこれを書いたといいます。
今治城 江島為信 「身の鏡」より 今治藩家老となった為信ですが、これを執筆したのはやはり浪人時代です。 当時はエッセイが流行していたようです。
橘 成季 「古今著聞集」より 成季は鎌倉時代九条道家の近習。詩文や管絃・絵画を好みました。 「古今著聞集」は古今各種の説話・逸聞等を収録したものです。
兼好法師 「徒然草」より 「つれづれなるままに・・・」 ただ、退屈しのぎで書いたものではなさそうです。奥が深いです。
静岡県新居の関所跡 井上通女(つうじょ) 「東海紀行」より 通女が16歳の秋、丸亀(香川県)を出て江戸に至る日記。 ※←通女の歌碑があります。
橘 南谿(なんけい) 「東西遊記」より 京都で医業を営んでいた南谿でしたが、日本各地を旅をしました。 地方都市や名所旧跡のみならず、山奥まで足を踏み入れることもあり、そこで人々の優しさにも触れたといいます。