身の鏡より
<原文>
昔、唐土に、ある人用所ありて、闇夜に出行せし途中にて、何やらん足に触りたるを踏みたれば、ぐいと鳴りたり。この人、心のうちに、蛙を踏み殺したりと思ひ行き過ぎ、用所をしまひ、帰りて寝入りたるに、もすがら驚かしけり。夜あけて、その所に行きて見れば、蛙にはあらで茄子にてぞありかる。その踏みたるとき、茄子と知らば、など蛙を夢に見るべきや、茄子をこそ見るべけれ。蛙を踏み殺したりと思ひたる心ゆゑに、夢中に蛙にをかされたるなり。
<現代語訳>
昔、中国で、ある人が用事があり、闇夜に出かけた途中、何であろうか、足に触ったものを踏んだところ、ぐいと(音が)鳴った。この人は、心の中で、「蛙を踏み殺してしまった」と思いながら(そのまま)行き過ぎ、用事を終えて(家に)帰って寝入ったところ、夢の中で蛙たちがかずかず集まって、「罪の無い蛙を踏み殺したな」といって一晩中眠りを妨げた。夜が明けて、その(昨晩、蛙を踏み殺した)場所に行ってみたところ、(昨晩踏んだものは)蛙ではなくて、茄子だった。その茄子を踏んだ時、(踏んだ物を)茄子だと知っていれば、どうして蛙を夢に見るはずがあろうか(いや、蛙の夢を見るはずが無い)、茄子の夢をみるはずだ。蛙を踏み殺した、と思い込んだ心のために、夢の中で蛙に襲われうなされたのだ。
横井の総評
心の持ちようによって変わることの例として挙げており、
本の題名「身の鏡」からも言えるように、人間は心をどうもって生きるかを説いています。