本居宣長

玉勝間(たまがつま)

<原文>
 人のただ一言ただ一わざによりてその人のすべての善き悪きを定め言ふは漢書の常なれども、これいと当たらぬことなり。すべて、善き人といへどもまれにはことわりにかなはぬしわざも交じらざるにあらず。あしき人といへども善きしわざも交じるものにて、生けるかぎりのしわざことごとに善き悪き一方に定まれる人はをさをさ無きものなるを、いかでかただ一言一わざによりて定むべき。人の生まれつきさまざまあるものなり。物の道理、事の利害など、すべてよろづのことを心にはよく思ひわきまへながら、口にはえ言はぬ玉勝間人もあり、また、口にはよく言へども、しか行ふことはえせぬ人もあり。また、口にはえ言はねども、よく行ふ人もあり。また、口にはよく言へども、文にはえ書きいでぬ人もあり。また、口にえ言はねども、文にはよく書きいづる人もあるなり。



<現代語訳>
 人のただ一つの言葉や、ただ一つの行為によってその人全体の良さ、悪さをきめてしまうのは中国の本によくあるが、これはまるで正しくないことだ。どんなに良い人だといってもたまには物の道理に合わないまちがった行為が全くないとはいえない。(また)どんなに悪い人といっても良い行為もあるもので、一生の間のすべての行い全部が良いか悪いか一方に固まっている人はまずいないはずで、どうしてただ一つの言葉や一つの行為で(その人が良い人か悪い人かを)きめることができようか。人はいろいろの性格がある。(たとえば)物事の理屈や、物事の結果の表れなど、すべてのことがわかっていながら、口でうまく言わない人もいる。また、口ではうまく言うが、その通りには実行しない人もいる。また口でうまく言わないが、きちんと実行する人もいる。また、口ではうまく言えても、文章をうまくかけない人もいる。また、口ではうまく言えなくても、文章には立派に書く人もいるのである。

横井の総評

 江戸時代に古事記伝を著した本居宣長の文です。人間には常にいろいろな面があるので瞬時に判断すべきではないと言っています。
ただし、人には、やはり一言の中にその人全体を表すものも多いので、自分自身に対しては一言一言を大切にし、他人には全体を見てあげるというのが最も良いのではないかと考えます。