<原文>
人のうき世にあらんうちは、川を渡る心持ちすべし。いかにといふに、川を渡らんとき、深きと知らば、はだかになり、着る物をいただき、用心いて渡るべし。また、浅きと知らば、もすそをよきほどにかかげ、用心して渡るべし。さあらは、いづれもあやまちあるまじ。されば、深き川を見損なひ、うかうかと渡りたらば、かならずあやまち後悔あらん。また、浅き川を深きと見損なひ、はだかになりて渡らんも、用意ことごとしくて、人の評判もいかがあらん。さりながら、浅き川を深きと見損なひたるは、当座の批判ばかりにて、身命において憂へ悲しみの後悔あるまじ。深き川を浅きと見損なひ候はば、かならず身命において、憂へかなしみの後悔あらん。 よつて世を渡らん心得、深浅慎むべし。
<現代語訳>
人がこの世にいる間は、川を渡る時の心構えを持つべきである。どうしてかというと、川を渡ろうとする時、深いと分かったら、はだかになって、着る物を頭にのせ、用心をして渡るはずだ。また、浅いと分かったら、着物のすそを適当な高さまで上げて、用心をして渡るはずだ。そうするならば、どちらの場合でも、事故はないだろう。そうであるから、深い川を見誤り、うかうかと渡ったりしたら、かならず事故を起こして後悔をすることだろう。また、浅い川を深いと見誤って、はだかになって渡るのも、用意が大げさで、人の批判もどれほどだろうか。そうであるけれども、浅い川を深いと見誤ったのは、その場限りの批判だけでからだと命という点では嘆き悲しむような後悔はないはずだ。深い川を浅いともしも見誤ると、かならずからだと命の面で、嘆き悲しむような後悔をするだろう。こういうわけであるから世の中を渡るときの心得は、深いか浅いかを慎重に考えねばならないのである。
横井の総評
「可笑記」には、上記のように人生をいろいろな例えであらわしているものがいくつかあります。物事の状況を常に考えて行動することの大切さを説いています。
また、作者は浪人中だったこともあり、当時の藩と武士社会を風刺したものが多く、現代でいうと会社のトップと社員そして非正規職員(=浪人)のことにつながるものがあります。