<原文>
博雅三位の家に、盗人入りたりけり。三位、板敷きの下に逃げかくれにけり。盗人帰り、さて後、はひ出でて家中を見るに、残りたる物なく、みなとりてけり。ひちりき一つを、置物厨子に残したりけるを、三位とりて吹かれたりけるを、出でて去りぬ盗人はるかにこれを聞きて、感情おさへがたくして、帰りたりていふやう、ただ今の御ひちりきの音をうけたまはるに、あはれに尊くさうらひて、悪心みな改まりぬ。とるところの物どもことごとくに返したてまつるべしといひて、みな置きて出でにけり。昔の盗人は、また、かく優なる心もありけり。
<現代語訳>
博雅三位の家に、泥棒が入った(ことがあった。)三位は、板の間の下に逃げ(込んで)隠れていた。泥棒が帰り、その後、(床下から)はい出て家の中を見ると、残っているものはなく、(泥棒が)みな取ってしまっていた。ひちりき一つだけを置物用の棚に残してあったのを、(博雅三位が手に)とって吹いていらっしゃると、出て行ってしまった泥棒が、遠くでこれ(=博雅三位が吹いているひちりきの音)を聞いて、感情が抑えられなくなって、(博雅三位の家まで)もどってきて言うには、「ただ今の(あなたがお吹きになった)御ひちりきの音をお聞きすると、しみじみと(した気持ちになり、)尊く感じて、(私の)悪心がきれいさっぱりなくなりました。盗んだ品物はみんなお返し申しましよう。」と言って、みな(盗んだものを)置いて出ていった。昔の泥棒は、また、このように優美な心もあったのである。
横井の総評
昔の人が書いた話しの中でも、「昔はこのように良かった。」と言い表す点は、現代と全く変わりありません。江戸時代や室町時代の書物などにも、「昔はこう良かった。」とあるものが少なくありません。人間には、常に過去のイメージが強く残るものであることをとても感じます。