ー よき競争相手を作ろう!ー
日本の歴史の中で、もっとも国に貢献した人物を何人かあげよと言われたら私はその一人に吉田松陰を選びます。歴史に詳しい方はよくご存知かと思いますが「松下村塾」の塾長がこの松陰です。「松下村塾」とは江戸末期に山口県萩市に作られた塾であり、そこから多くの明治維新の立役者達が輩出されました。
ところでその松陰の教育法というのがやはり私は一番興味があり歴史書 伊藤 博文をひもとき、調べていきました。まず教育法の一つに塾生の個性をよく見極めたうえで、それぞれのよいところを見出し、研鑽させる指導法がありました。塾生、伊藤博文なら博文の長所を伸展し、山県有朋なら有朋の長所を見つけ伸ばさせたのです。この松陰の教育法は、江戸幕府に逆らい、入れられた獄、「野山獄」においてもその兆しが見られました。静岡県の下田からの海外渡航に失敗した松陰は獄である「野山獄」 へ入れられます。ここの中には一生この獄から出られる見通しの無い者もいました。
それにもかかわらず松陰は獄の中で各々の者が持っている長所、つまり得意な分野を、見つけ出し、俳句を習ったり読書会を行うなどして、閉塞的であった獄内の雰囲気を一変させたのでした。これまで学院だよりに書き続けてきた、長所伸展法が歴史上、最高の教育をした松下村塾でも使われていたのです。
そして長所伸展の他にもう一つの方法が歴史書に記されております。それは「競う」という方法です。村塾において塾生である高杉晋作に対しては長所を伸ばすことに重点を置くよりも「競い合わせる!」という方法を選びました。
松陰は、晋作が際立った見識をもっているものの、人の意見に耳を傾けようとしない性質の持ち主であることを見抜いたのです。そこで萩城下で秀才と名高い、久坂玄瑞を何かにつけて引き合いに出し、晋作を発奮させるようにしたのです。
晋作にも玄瑞にも互いに切磋琢磨を促したのです。その結果として晋作、玄瑞は「松門の双璧」との称号を得、師である松陰の志を強く継ぎ、松陰の死後、国事に望んでいったのでした。
時には「長所」を伸ばし、時には「共に学び」、そして時に「競い合わせる」という方法を個性や状況に持ち合わせていたところに松陰教育の凄さがあります。 高杉 晋作
この歴史上の事実からも「長所伸展」、「競い合わせる」を臨機応変に学院教育内でも活用していきたいと考えます。一人一人の個性、考え方も頭に入れながら保護者の方々とともに生徒達を育んでいきたいと思います。