実力者主義

ー 本格的な実力主義社会へ ー

実力主義が社会を活性化してきた!

 十六世紀は、まさにマキャベリズムの時代でした。日本やイタリアは分裂国家が乱立し、領主達が「国盗り合戦」を繰り広げていました。十六世紀後半になると、それにオランダとイギリスが加わります。世界は軍事力を背景とした「植民地主義の時代」に突入していました。信長も世界地図を見ながら、「朝鮮を従え、明も俺のものにしてやる」という誘惑に駆られたそうです。
 後進国だった日本にそんな事ができるはずはない、と思う方も多いと思いますが、それは間違いです。当時、信長の頃の日本は、ヨーロッパの列強に劣らぬ先進国であったと専門の歴史書等には記されています。だから南蛮人(歴史で言う当時のスペイン人、ポルトガル人)に対し、コンプレックスを持つ者などはいなかったそうです。逆にイエズス会の宣教師達の記録簿等を調べてみましたら、至る所に日本で見たものへの感嘆や驚きが記されていました。一五四九年に、日本に初めてやって来た宣教師フランシスコ=ザビエルはイエズス会に書き送った報告書に「日本人は驚くほどに名誉心の強い人で、他の何ものよりも名誉を重んじる。」と記しています。当時は戦国時代の真っ盛りの頃ですが大名が支配する国々では秩序が保たれ人々はモノやカネよりも、名誉に価値観をおく生活をしていました。フロイスは信長が総力結集して築いた安土城を見て、世界に類のない巨大な城だと感嘆していたと記されています。安土城は土塁を用いず、すべて石でできており、天守閣は五階七層の壮麗かつ堅固なものでした。又、七階は壁も天井も全て金貼りしていたという事です。こうした事実は日teppou.bmp本が土木技術、建築技術で欧州に劣らないレベルにあっただけではなく美術や工芸技術の面でもきわめて高い水準にあった事を示しています。だが何よりも日本を先進国たらしめたのは軍事力でした。日本中が戦いに明け暮れた結果、兵士の戦闘能力は急速にレベルアップしていきます。そこにタイミング良く鉄砲が伝来しました。鉄砲は瞬く間に普及し、各地で生産されるようになりました。改良などが加えられた結果、十六世紀末には日本は鉄砲の保有数は世界一になったのです。
 しかし信長の死後、百年たった頃には状況が一変します。徳川家康の天下になると、苦労人であった家康は今後は代々徳川が将軍をつないでいくというガチガチの身分制度つまり安定型社会を望みます。すると日本は「規制」だらけの国になり急速にダイナミズムを失っていく。身分の固定、移住の制限、こういった社会では「実力」より「権威」がものを言います。日本は三代将軍の家光による鎖国によって世界から切り離され、どんどん取り残されていったのです。そして幕末にはペリー率いるたった四隻の黒船に驚いてたちまちパニック状態に陥るほど弱体化していくのです。形式主義に陥っていた官僚たちは、なすすべを知らず言われるがままに不平等条約を受け入れ、開国に踏み切りました。当時の日本は信長の頃の列強に迫る実力から三流国レベルにまで転落していたのです。


 ところが今度は明治維新の主役となった薩長や土佐の下級武士達が登kurofune.jpg場してきます。幕末、日本はペリー来航という外圧によって存亡の危機に立たされました。すると、各藩は実力のある者を登用して生き残る事を模索し始めたのです。このとき頭角を現したのが坂本竜馬、高杉晋作、大久保利通、西郷隆盛らを代表とする維新の立て役者たちです。
この中でも、特に革命児的な要素をもっていたのは坂本竜馬と高杉晋作でした。竜馬は日本を列強の植民地にしない為には尊皇攘夷ではなく、国をオープンにしてどんどん西洋の先進文化を吸収するしかないと考えていました。その考えに沿って竜馬は薩摩を長州を結びつけることに奔走し、それを実現化した。一方、彼は商社の走りとも言える海援隊を組織して世界を相手に商売する事を夢見ます。
高杉晋作は、単身で上海に渡って列列強に食い物にされる中国の惨状をつぶさに見た経験から帰国後、近代的な強い軍隊を作る事に取り組み始めました。それには身分の壁を取り払って実力のある者を採ることだと考えた高杉は農民の子弟を中心とした「奇兵隊」を組織しました。日本にとって不幸だったのはこの二人が志半ばで命を落としてしまった事です。とは言え、富国強兵を一日も早くしなければ列強の餌食になってしまうという竜馬や晋作の考えは明治に入っても生き続け、日本は軍の近代化と産業革命に急ピッチで取り組み始めたのでした。
 その後実力を蓄えていった日本軍は明治維新から三十年も経たないうちに中国との戦争(日清戦争)に勝ち、その十年後には列強の一つだったロシアを打ち負かします。(アメリカの仲裁がポーツマスで入ります。)これによって日本はペリー来航からわずか六十年で弱体国家から世界の列強となったのです。上記のように歴史から読み取れる日本の社会は国が弱体化するのも速い。だが実力登用となり、実力主義が訪れると、あっという間に旧勢力を倒し、急激に社会が活性化してきているという特色があるのです。



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