今回、保護者の方、生徒達に一番伝えたいことは大きなテーマですが、「人生」についてです。人生の要素として努力、才能、運などがありますが、私はことの他「運」というとても抽象的なものが大きな要素を占めると思っています。(当然、努力も大切ですが)特に子供たちや若者たちはこの運(家庭運、環境運)にとても左右されます。全てとは言いませんが、生まれてから20代後半くらいまではこの運(家庭運、環境運)で、ある一定の範囲まで決まると私は考えます。脳の研究をする学者の本を数多く読みましたが、経験や学習を通して人間の判断力は二次関数的にぐんぐん増してくるそうです。ですから30歳以降は本人の努力や取り組みといった要素が大きくウェートを占めてきます。しかし、10代、20代の歩み方によっては30代以降(20代半ば以降)のチャンスが失われるケースがあると思うのです。
ここからはいくつか例を挙げていきます。まず、オリックスから大リーグへと進んだイチロー選手の場合ですが、自営業を営んでいた父親は、イチロー選手が小さい頃から一緒に野球をし、長所を伸ばしてきました。また、プロゴルファーのタイガー・ウッズ選手も、3歳から父に英才教育されてゴルフを習いましたし、日本の宮里藍選手も小さい頃からゴルフをしています。スポーツだけでなく、ピアニストや音楽家の世界トップレベルの方々も全てそうです。この人たちはやはり、運(家庭運、環境運)があったのだとつくづく思います。
逆の例として・・・私は20代の頃、一週間ほどインドに旅行に行ったことがありますが、とても暑かった事、とても臭かった事、とても乞食が多かったことが印象的でした。(20年ぐらい前のインドの事です。)また、片腕や両腕の無い人たちが多かったので、私はガイドの方に「何故ですか?」と問いました。すると「インドはとても人口が多く、発展途上国で貧しい人々も多いのです。その為生活ができないので親が自分の子供の腕を切って乞食として哀れんでもらい、観光客たちからお金を貰って生活できるようにそうしているんです。」と言っていました。
「乞食として生きられる為に。」その言葉に私は涙が止まりませんでした。最低の教育だと思いました。「子供たちの可能性も何も無い。」「ただ食べる為に生きる人生。」手を切られた瞬間に彼らには未来が無いのです。
日本でも最近のニュース等で幼い命が虐待等でいくつも亡くなっています。その子にどんな能力があったとしても社会に出る前に絶たれています。
これらの例ほど極端ではありませんが、私が社会に出るまでの状況についてもお話ししたいと思います。
私は愛知県の尾張で魚屋の長男として生まれました。父親は昭和10年代生まれで、我が家の雰囲気としては男の子は家を継ぐものという流れがありました。そして、家を継ぐかその為に修行に出て欲しいと言われていました。ですから中学を出て働くか、高校を出て働くかという状況でした。今の進んだ社会のように優秀な父親が社会情勢や世の中の経済状況を考えて、また子供の特性を考えてというものでは全くありません。私自身ジャーナリストになりたいとか、教師になりたいというようなイメージはうっすらありましたが、心の中にしまっていました。ただ親からは「大学には行かせられないから。」と言われて育ってきました。今の私の知識や教育論から考えれば、我が家の教育に点数をつけると厳しいですが合格点には達しません。
インドや虐待の例等ほどではありませんし、当時ならよくある話かもしれませんが、親が子供の可能性を適性も考えず、社会情勢も勉強せずして摘むようなことはあってはならないのです。ですから、その頃の私は中卒で働くかもしれない、また高校を出て働くかもしれないと思っていましたので、勉強をしませんでした。本当に怠惰に過ごしたと思います。今の横井学院予備校にもし私が通って、今の学院の授業、学院の話を聞いたら全然違う10代であり学歴であったと間違いなく思います。そのような背景の中、中学卒業後に働くことはありませんでしたが、高校3年の時は就職の方に話を進めていました。ところが当時の教頭先生が、「この子には教師の素質がある。成績もあるし、私から知り合いの大学に連絡するから。」と言って、私の親にも話しをし、説得して大学に行くことになりました。今振り返ると、その時が私の人生のターニングポイントだったと思います。それ以降は、就職するにも自分で調べ、考え、自力で進みました。
私塾が中心になる時代、適性を考えて22歳で岐阜県の大手塾へ就職。塾業界での実力をつけた後、27歳で全国一位の予備校へ・・・。2社で修行して技術を磨きました。そして、22歳から29歳までの修行を生かし横井学院開校。その後、2004年の横井学院予備校設立と動きました。ですから、人生で辛かったのは最初の29年で、もっと辛かったのは最初の22年、一番精神的に苦しんだのは最初の18年です。中高年になったらそれだけのノウハウや経験があるので私は辛いことは何も無いと思っています。自転車で例えると、漕ぐのも重くバランスが悪いのが最初です。飛行機や車を走らす時も一番燃料(エネルギー)が必要なのはスタートの飛ぶ時、走る時です。事業を興す時も一番大変なのは、最初の一年です。つまり人生でも最初の二十数年が一番大変なのです。そこに良いコーチ、良いスタッフが揃っているかどうかは人生を大きく左右する可能性が高いのです。
ここまで書いてきて皆さんも、何が言いたいのかご理解いただけると思います。一番大切なのが人生の前半であり、その中でも更に前半。その人生の前半の良いコーチ、良いスタッフというのは、親や何年にも渡ってアドバイスをしてくれる教師のことです。
スポーツの世界が一番顕著な例ですが、必ず各選手にはそれぞれコーチがついています。
コーチ、つまり親や教師が良くなくても成功することはできますが、確率はかなり落ちますし、仮にその人に良きコーチがついていたならばもっと飛躍した可能性があります。
私の友人の中でも、良いコーチ(親)がついていたなぁと思う人達がいます。K君は、父親とじっくり話し合って大学は農学部へ進みました。農学部では「麦」の研究をし、どうしたらより美味しい麦が作れるのかを研究しました。そこから大手のビール会社や食品会社の研究所への話がいくつもきたそうです。又、学校で社会科の教師になりたかったM君は、父親とともに調べ、考えて静岡大学教育学部に入学しました。そこには日本一の歴史の大家、小和田教授がいるのです。日本中から社会科教師になりたい優秀な学生は小和田教授の講義を受け、小和田研究室に入るのです。そこで、とことん学び教壇に立つわけです。このレベルだと他の公教師陣は全く歯が立ちません。こういったことはまず10代の知識ではほとんど知らないでしょう。日常生活の中で、我が子が岐路に立った時に的確なアドバイスができるというのは大きいと思います。これがコーチング例です。
また、優秀でありまがら高校で就職しなければいけなかったI君、H君。高校で就職する時も本当にやってみたいことがあればいいと思うのです。しかしI君も、H君も家庭の事情でした。I君は「金銭的に高校まで。」と言われていたそうですし、H君は「大学の学費は無理だが家を建てる時は援助してあげられる。」と言われたそうです。特にH君の「学費は無理でも家を建てる時」と言うのは、まさにクエスションです。
学費を出してあげて大学に行かせて学ばせれば、彼なら十分経済力を持てたと思います。家など後からついてきます。ところが適性も考えずH君は高校卒業後就職したので、転職を繰り返し現在に至っています。
つまり、まとめますと人生は前半の中でも更に前半の20代までが一番大変であり、特に10代に本人以外の大きな動かされる力(運の要素)が高いこと、その運は親・教師(公教育以上に私教育)という家庭運、環境運に行き着きます。自分で成功できれば一番良いですが、確率は低いこと。ですから責任は、子供ではなく親にあるのです。どんな言葉をかけられるのか、どんな教育機関を選んであげられるのか、岐路に立った時ある程度のアドバイスができるのか。その為に本を読んでいるのか、知識は持っているのか。「自分のことなのだから、自分で決めなさい。」と思う方もいるかも知れませんが10代が、一番判断力が無いのです。人生の前半は一番大変であり、青春時代は悩みの中に生きています。良いコーチ陣が揃っているか、いないかは大きく左右し、子供達の精神的安定感は全く違います。学院にお子さんを預けていただいている方々は私達の親とは違うとは思いますが、常に子供達に何ができるのか、そして人生行路にどんな影響を与えていけるのかをともに、勉強しながらご協力していきたいと思います。
2004年に、自社ビル運営となる横井学院予備校をつくった理由の一番は、私が良い教育を受けていませんので良い教育を、そして良い施設をと思い、当時決断しました。アメリカ合衆国の故ケネディ大統領の演説にある「この国の為に何が出来るか。」に対し、学院は「子供達の為に今何が出来るか。」と思っています。教育が人を創り、この国を創ります。これからの時代、一番大切なのは教育だと思っています。
最後に、ビートたけし氏を育てた北野さきさんが、常日ごろ言っていた言葉を付け加えます。「この子達を豊かにさせるには教育しかない。」
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