勉強はつらい

砂浜


  「人間は考える葦である」という、フランスの哲学者パスカルが言った有名な言葉があります。「思索が人間の偉大さをつくり出す。」と、パスカルはその著「パンセ」の中で述べています。人間は、地球上で頭を使うことが楽しいと思う唯一の生き物です。
 子供の頃、修学旅行の時にもトランプや将棋を夢中で行いました。やはり、頭を使って「ウンウン」考えるのは楽しいものです。人間は本来、頭を使うのが楽しい生き物なのに、なぜ勉強が嫌だとか、仕事は嫌だとか思うのでしょうか?
 ある本に書いてあったことですが、それは「善苦悪快思考」が子供の頃から植付けられているからです。
「善苦悪快思考」とは、悪い行動には快感が伴うという考え方です。我慢の哲学的な要素が濃い儒学思想の変形なのだそうです。
 「善苦悪快思考」に基づけば勉強は善い行動なので、勉強することが苦痛であることは当たり前となります。
 世の中のお母さん方の中には、子供の顔さえ見れば、「勉強しなさい、勉強しなさい。」と、口癖のように言う人がいます。では、そういったお母さんが小、中学生の頃に、子供に言うほど勉強したのでしょうか?
 子供に勉強しなさいと口うるさく言う方に子供の頃、本当に勉強好きだった方はいません。
 自分が子供の頃、懸命に勉強に打ち込んだ体験を持つ人は、子供に向かって勉強しなさいと口うるさく言わないものです。なぜならば、そんな事をいくら口にしても、学習意欲が子供の心に湧いてくるものではないことを自分の体験に照らしているからです。
 子供の頃に勉強好きだった人は、知識を得ることの楽しさを知っている人です。子供に知ることの楽しさを教えてあげれば、子供の知識欲はどんどん刺激され、又そこから競争する楽しさや意欲が湧いてくるのです。
 親や教育者がなすべきことは、子供達に知ることの楽しさを教えてあげることです。そのために、いろいろな知恵と工夫を凝らし、また学院で言えば「知識欲をかきたてる授業」を行うことなのです。とにかく「学ぶ楽しさ」・「考えるおもしろさ」を大切にしていきたいと考えています。
 学院が、点数を上げるのを第一目標にしていないのもこのことからです。「勉強嫌い」から大人になった時に「仕事嫌い」をつくり出してしますことが最も怖いと考えているからです。